2018年は女性シンガーソングライターの年になると確信していた。
カネコアヤノ『祝祭』、中村佳穂『AINOU』、吉澤嘉代子『女優姉妹』。
どれか一つでも大ブームが起きるのではというレベルの作品が3つも出た。柴田聡子や青葉市子もじわじわと支持を広げていました。
時代の到来を感じていたと同時に、かなり意図的に「流行を生み出そう」としていたのではないかとも感じてました。
当時はまだ、音楽業界やメディアが「今これが来ている」という気運を作る力を持っていました。
2014年ごろはシティポップの再評価があり、どこか懐かしさをまとったバンドが流行った。そのカウンターのように、TempalayやKing Gnuといった、いかにも「今」を感じさせるバンドが注目されていきました。
2018年の女性シンガーソングライターもそういう流れの上にあったように私は感じます。
ところが、これだけ良い作品が揃っていてそれぞれに注目も集まっていたのに、そこから「2018年の女性シンガーソングライター」という大きなブームにはならなかった。
もちろん、彼女たちが売れなかったという話ではありません。むしろめちゃくちゃ売れてます。
ただ、かつてのように、一つの大きな流れとして多くの人が共有する「ブーム」にはならなかった。
その理由の一つに、SNSが当たり前になったことがあると思います。
SNSが普及する前は、音楽を知る入口が今よりずっと限られていました。
テレビ、雑誌、ラジオ、CDショップ。
もちろんインターネットもありましたが、今ほど身近なものではありませんでした。
情報に敏感な誰かがいち早くその音楽を見つけ出し、そこから少しずつ周りに広がっていく。クラスに1人はいたような、今でいうインフルエンサー的存在が起点になってじわじわと知られていく。
このゆっくりとしたスピード感があったからこそ、「今、これが流行っている」という感覚が時間をかけて多くの人に共有されていったのだと思います。
ところがSNSやサブスクが当たり前になると状況が変わりました。
自分が好きなもの、自分が過去に聴いたもの、似たような趣味の人が聴いているもの。
そういう情報がアルゴリズムによって次々に流れてくる。
便利になった一方で、みんなが同じものを見ることは少なく、各々好きなものを好きな時に楽しむ時代になりました。
それぞれにとっての「今」が違う。好きなものを、好きなように楽しめるようになった一方で、ブームと呼べるほどの広がりを持つ前に関心は次へと移っていきます。
これは音楽に限った話ではありません。
映画も、本も、漫画も、服も、ネット上の流行も、以前よりずっと細かく分かれていきました。
そして、流行のスピードもどんどん速くなりました。
一つのものが何年もかけて広がっていくのではなく、SNSで突然話題になり、数週間で多くの人に知られ、また別のものへ移っていく。
昨日まで「これが来ている」と言われていたものが、数日後にはもう古いものとして扱われることすらあります。
そう考えると、2018年という年はちょうど境目だったのかもしれません。
まだ「みんなで同じものを楽しむ」というお祭り的な感覚が残っていた。
だからこそ、良いシンガーソングライターが同じ時期に作品を発表し話題になれば、ここから大きなブームを作れるように見えた。
でも、そのすぐそばでは、SNSによって人それぞれの「好き」が細分化されていく流れも始まっていた。
つまり、ブームを作る側の力がなくなったというより、ブームを受け取る側の構造が変わってしまった。
これを2018年の音楽業界をみて強く感じました。
その後、音楽はさらに細分化していきます。
大きなヒット曲はもちろん生まれる。でも、一つのジャンルや一群のアーティストが何年もかけて大きな文化的ブームになることは、以前より難しくなった。
その代わり、細かいコミュニティの中では、とても強い熱狂が生まれるようになりました。
「みんなが知っている音楽」は減ったけれど、「自分たちだけが知っている音楽」は増えた。
そして面白いことに、最近はその反動も起きているように感じます。
あまりにも新しいものが次々と流れてくるからこそ、何年経っても色褪せない「名盤」に安心感を求める。
流行が高速化した結果、逆に時間に耐えたものの価値が上がっている。
そう考えると、2018年は「ブームが終わった年」というより、ブームのあり方が変わり始めた年だったのではないでしょうか。
2018年の音楽を聴き返すと、そんな時代の変化まで一緒に聴こえてくる気がします。

