まずは、辞書的・一般的な定義から。
ハイパーポップとは、ポップミュージックを基盤に、エレクトロニック、ヒップホップ、ロックなど多様なジャンルを極端に誇張し、融合させた音楽スタイルである。
過剰な加工、人工的なサウンド、高速な展開、アイロニカルな表現を特徴とし、インターネット文化やSNS世代と強く結びついて発展してきた。
――だいたい、そんな説明になる。
では、私なりの解釈ではどうかというと、
ハイパーポップとは「秩序ある無秩序」だと思っている。
何でもできるからこそ、何をしたらいいのかわからなくなる。
その現代病的な感覚の果てに、逆説的に、一定のルールが生まれる。
そんなふうに、ハイパーポップも捉えられる。
ごちゃ混ぜの中に秩序があり、その秩序は意外なほどシンプルだ。
細かく理解しなくても、本能に直接作用して考える前に体が動く。
理屈よりも先に反射的に反応してしまう感覚がある。
そこに、どこか祭の音楽に近いものを感じる。
意味や文脈を知らなくてもとりあえず輪の中に入って踊れてしまう。
古くからあった、人を集め、体を揺らし、場を成立させるための方法論。
ハイパーポップは、最新の技術や価値観で武装していながら、
実はかなり原始的な身体感覚に立ち返っているようにも見える。
仕切り直しというか、一周して一から始まったような感覚がある。
ただし、完全なゼロではない。
ゲームを全クリしたあとに始まる二周目のような全能感もある。
自由なのか、不自由なのか。
ポリコレと分断、極端な価値観が同時に存在する現代。
その矛盾を抱えたまま成立している象徴的な存在こそが、
ハイパーポップなのだと思う。

