「ナミビアの砂漠」を今更ながら見ました。
山中瑶子監督・脚本による2024年公開の映画です。21歳のカナが、同棲中の優しいけれど退屈な恋人・ホンダから、自信家で刺激的なクリエイター・ハヤシへと関係を移していくなかで、自分の感情や居場所を見失い、もがいていく姿を描いています。第77回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞しています。
見た感想ですが、
なんじゃこいつら!絶対友達になれへん!
きしょすぎるやろ!何を見せられてるんや!と。
キレすぎて一日おいてから冷静に振り返りました。
まず、こんなに作品に対して感情を掻き立てられるくらい魅力のある映画なのだと。
私が小さいころあらゆる映画やアニメなどに対して、どこかでおっさんが集まって作っているもの、という変な見方をしていました。
『火垂るの墓』とかもまったく泣かない。なぜなら、おっさんが泣かせようとどこかに集まって作っていると思っているから。
そんな私がこんなに嫌悪感を抱くということは、この映画の魅力でもあると思います。
ここからめちゃくちゃこの映画のことを好きになる可能性もあると思いました。
嫌悪感を抱くポイントは2つ。
・事なかれ主義
・抑圧したものの爆発
まず事なかれ主義について。
みんな大事なことちゃんと向き合って喋ろうや!と
付き合ってんちゃうんかい!と。この先二人で生きていくんちゃうんかい!と。
ホンダもハヤシも両方そう。
表面的な優しさ、表面的な自信、魅力。
この薄っぺらさ、絶対的に嫌いです!
カナは友達から同級生が亡くなったと聞かされてるのにまったく何も思ってない。
何なら話も聞いてない。
表面的な関係に慣れすぎた、なれの果ての無関心なのか?
このシーンは衝撃的でした。
話してきた友達もそのあとホストで楽しく飲めるんかいというね。
何が何やらです。
もうひとつの感情の爆発について。
爆発しまくってましたね。
100か0しかないんかいというくらい。
そんなに怒るんやったら、もっと早く言うてくれや!と。
ため込むからどうにもならんくなるねん!
吐き出せる場を持つこと大事やから!
酒ばっか飲んでても本音は話せないぞ!
無関心と激情という100か0のスイッチしかないのも抑圧と解放を象徴してる気がします。
ここまで書いてて思ったのが、カナは両親に怒られてこなかったのか?
タクシーでゲロ吐いたり、やる気のない接客しても特に怒られてるシーンはない。
そう思うと、カナの人間性に少し近づけた気がする。
私がこの映画を見て説教臭く怒ってるようなことをカナは言われたかったのでは?
最初に嫌悪感を抱いた事なかれ主義も、現代だからこそ生まれているものなのかなと思いました。
どの場面でも本音でしゃべった方がいいとは全く思わないし、
わたしも職場では最低限の付き合いしかしないようにしてる。
深くかかわらないことは現代社会を生き抜く術でもあると思う。
ただ、家族や友達、パートナーなど本来深い関係を築いておくべき人たちとまで、同じような付き合い方をしてしまうのは違うと思います。
誰とも深くかかわらず、自分の感情を吐き出せる場所もない。そうなるといつか限界が来る。心の不調につながったり、感情が爆発したり、他人への関心を失ってしまったりするのではないでしょうか?
そう考えると、カナは自分のことをちゃんと見て、関心を持って、必要なときには本気で怒ってくれる人が必要だったのではないか。
カナが求めていたのは、そういう存在だったのかもしれません。
最初はこいつら全員しばいたろかと思って見ていたのに、最後にはそんなことを考えていました。
冒頭の歩き方から生意気すぎるし、なんじゃこいつは!と思ったカナも、もう一回見たら好きになれるのかなと。
もう一回見てみます。

